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2017.11.03

図表ばかりで文章が足りない

 「わかりやすさへのこだわり」について書いたついでに、「わかりやすい文書」を作るためのヒントを示しておこう。膨大な文書を見てきて、あれはわかりやすく有用であったと思い出せるものには明確な特徴がある。それらは「文章が多く図表が少量」なのである。

 これは意外なことだ。図表というものは文書の内容をわかりやすく伝えるためにあると私たちは教えられてきた。グラフや数値を駆使して実態を「見える化」することが重要だとも教えられてきた。言葉の羅列ではわからないから、図解によって読者の直観的理解を促す。それが文書作成の基礎だと思われている。

 ところが、現実にはわかりやすい文書があまりに少ない。なぜか。それらは図表ばかりで文章が圧倒的に不足しているからだ。「文字」はそれなりに含まれているが、単文や箇条書きばかりで「説明文」や「論述」がほとんど含まれていない。

 そのような文書がわかりにくいのはなぜか。図表や箇条書きは、その資料が伝える情報の「要素」であるが、それだけでは「文脈」がないからだ。「AがBであるゆえに、Cである」と主張すべきところを「A、B、C、以上。」とだけ述べるようなものだ。文書に含まれる文章には、各要素間に論理関係を与えるという大切な役割がある。事情通にしかわからない「ハイコンテキスト情報」を、第三者にもわかるような「ローコンテキスト情報」に仕上げるには、文章による補完が欠かせない。

 ところで、設計資料をパワポで作る例をよく見るのだが、パワポはもともとプレゼン用のスライドを作るものである。大量の語り言葉がまずあって、その理解を促すためにスライドが用いられる。本来ならばスライドは大量の言葉とセットになっているはずなのだが、言葉が欠けていれば十分な理解は得られない。パワポで示される図表や箇条書きだけでは、それらの要素間の複雑精妙な「文脈」が欠けているからだ。

 そもそも、「図表を理解するために文章がある」のではなく、「文章を理解するために図表がある」ということを理解しておきたい。一般的な文書における図表は、「わかりやすい説明文で語られた複雑な内容」がまずはあって、その理解を助けるためのものである。美味い刺身には少量のワサビが欲しいが、ワサビだけでは料理としては成立しない。文章なしの図表で読み手が満足しているとしたら、それは「複雑なメッセージを含む文書」ではなく、単一の目的のためにまとめられた数値やグラフ、あるいはアート作品のようなものだろう。

 ではなぜ図表偏重な文書が生み出されやすいのか。書き手に説明文を書くことに苦手意識があるゆえに、図表や箇条書きに頼ってしまうからだ。いまどきエクセルやパワポやビジオを使えば、図表は簡単に作れる。いっぽう、端正な説明文を生み出すにはセンスやトレーニングが要る。結果的に、資料全体が安直な図表や箇条書きで埋め尽くされる。

 システム設計という仕事は、何よりも「言葉」を丁寧に扱わねばならない高度専門職だ。業務システムの設計情報というものは「言葉の巨大構築物」であると私は断言できる。大量の文章を書く義務から逃げていては、何年たってもいい仕事はできない。素人くさい図表をひとつ作る前に、それと対をなすべき「わかりやすい説明文で語られた複雑な内容」が既にそこにあるかどうかを自問してほしい。

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