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2014.10.17

自由であるためにドキュメントを作る

 前回記事で、ドキュメンテーションを重要視しない開発業者を避けるべきだと指摘した。同様の問題は、業務システムを内製した場合にも生じている。むしろ、ドキュメントレスな困ったシステムは、内製で生み出されているケースのほうが多いような印象が私にはある。

 ドキュメントレスなシステムが重大なリスクを抱えていることを、ほとんどの経営者は認識していない。なぜなら、ドキュメントレスであってもシステムのあり方は内製担当者の「頭の中」に入っているので、彼に頼めば必要な改修はやってもらえるからだ。結果的に業務システムが、担当者のエンプロイアビリティ(雇用意義)を強化するための政治的ユーティリティと化すことを許してしまう。その歪みは、担当者がいなくなったときに一挙に顕在化する。いなくなった当人としては「後は野となれ山となれ」である。

 業務システムがドキュメントレスになりがちな根本的な理由は、まさにここらへんにある。ドキュメントをしっかり作ることは、ある意味で開発者の「自己否定」につながる。内製担当者がしっかりドキュメントを作れば、システムのあり方に関する知識が外部化されるため、彼はいつクビにされてもOKだ。開発業者がしっかりドキュメントを作れば、いつでも他業者に乗り換え可能になる。

 ゆえにドキュメントをしっかり作ることは、開発者の「職業倫理」のようなものとして期待されることになる。ドキュメントレスなシステムを開発することは、内製担当者や開発業者として「正しくない」とは言えない。法規違反しているわけではないからだ。けれども「品がある」とは言い難い。意図していなかったにせよ、結果的にユーザ企業の利益よりも自分の利益を優先させているからだ。

 そんな状況を避けるために、職業倫理をあえて強調する意義はある。けれどもそれが重要だと連呼するだけでは芸がない。そもそも、しっかりドキュメントをまとめることが社内で評価対象になっていないとしたら、誰が好き好んで「自己否定」などやるだろう。

 ここらへんについて、ある友人の姿勢が参考になると思う。彼はユーザ企業所属のシステム要員として、いろいろな会社を渡り歩いてきた。今の会社でも、丁寧にドキュメントを作りながら地道に内製を進めている。なぜそんなスタイルを身につけたのかと訊くと、彼はこう答えた。「ひとつの会社にずっといたくないからですよ」

 じっさい彼はそのような「手離れのいいシステム」を作った実績が評価されて、転職を重ねながら経験値を高めることができている。ドキュメントをしっかり作ることは、彼にとっては自己否定ではなく自己実現の基礎なのである。

 そして彼の姿勢は、ドキュメントが技術者の自由度を高めるという事実を教えてくれる。おざなりなドキュメンテーションが担当者のエンプロイアビリティを強化する。これは裏を返せば、担当者がそのシステムに鎖で繋がれてしまうということだ。本来であれば享受できた多様な経験が、自分が生み出したものによって奪われる。だから、職業倫理などを引っ張り出す必要はない。われわれはドキュメントをしっかり作らねばならない。何のためか。自由であり続けるためだ。

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