« Facebookから脱退 | トップページ | あんまりプログラミングしないけどアジャイル »

2012.05.08

「印刷物を眺めながらの仕事」の衰退と罪深さ

 かつて、業務システムには数多くの「帳票プログラム」が含まれていて、見積精度を損なう要因となっていた。開発に入ってから、さまざまな帳票プログラムをあらたに開発する必要が生じて話がこじれがちだった。年に数度しか使わない帳票とか、誰も必要性を理解できない帳票とかを求められたものだ。もちろん喜んで作った(追加工数をもらえる限りは)。

 時は流れ、業務システムに含まれる帳票プログラムはすっかり減ってしまった。EXCELに明細データを流し込むような仕組みさえ作れば、ユーザ自身がディスプレイ上で自由にソートや集計して眺められるようになったからだ。また、BIのような集計・分析用ソフトウエアも普及した。かつてのように「さまざまな切り口での集計状況を眺めるための帳票」を個々にプログラミングする必要はなくなった。

 今でも残っている帳票プログラムは、出荷指示書や実棚調査表、それに請求書といった特殊用途向けのものだ。それらも、携帯端末やP2Pの発展にともなって必要性が薄らいでゆくだろう。にもかかわらず、いまだに大量の帳票プログラムが新規開発されているとすれば、旧態依然としたSIerにユーザ企業が食い物にされている疑いがある(もちろん彼らは「ユーザが欲しいと言うのだからしょうがない」と倫理上問題のある言い訳をするはずだ)。

 ようするに、「何かをわざわざ紙の上に印刷してそれを眺めながら行う仕事」そのものが減ったということだ。業務システムに含まれる帳票プログラムが減るのも当然の成り行きである。

 ところが、システム開発の現場では「何かをわざわざ紙の上に印刷してそれを眺めながら行う仕事」が今でも幅をきかせている。例の「EXCEL方眼紙」で作った仕様書を印刷して、それを眺めながら進めるプログラミングのことだ。プログラミングしながらちょっとしたメモや疑問点を書き添えることもできるので、仕様書を印刷したくなる気持ちもわかる。何かを書き添える必要がなくても、デュアルディスプレイを使えないなら誰だって印刷したくもなるだろう。

 しかし日常的にも見えるその風景も、旧態依然としたSIerにユーザ企業が食い物にされている結果なのかもしれない。設計者が手間ヒマかけて仕様書をまとめ、プログラマがそれを見ながら手間ヒマかけてプログラミングする――そんなやり方では効率が悪すぎるからだ。しかも、保守フェーズに至れば仕様書とコードとが乖離することが目に見えている。読みにくく保守しにくいレガシーシステムが、デスマーチの果てにまたひとつ生み出される。

 今やその気になりさえすれば、技術上の工夫で「仕様書を書く過程」か「プログラムを書く過程」のいずれかを、保守性を担保したままカットできる。そうなれば仕様書を印刷する必要などないばかりか、ごく少数の「設計できるプログラマ」でプロジェクトを賄えるようになる。プロジェクト単位あたりの規模は桁違いに小さくなる。

 しかしSIerは、こうした技術革新に消極的にならざるを得ない。大規模プロジェクト遂行における財務上のバッファーという自らの役割やビジネスモデルを自己否定したくないからだ。なにしろ彼らにとって開発案件は、開発工数も管理コストも嵩張るものでなくては困る。

 したがって、システム開発の現場でこの「何かをわざわざ紙の上に印刷してそれを眺めながら行う仕事」もしばらくは生き残るかもしれないが、いろいろな問題を撒き散らしてゆく。仕様変更の都度印刷することでパルプ資源を無駄遣いする点、仕事の面白みやアジャイルさに欠ける点、日本語を読める海外のプログラマとの単価競争にさらされる点等々。その中でもとくに罪深い問題は、関わる技術者に「設計できるプログラマ」に成長するための気づきや動機をもたらさない点だ。なにしろ「そこに仕事がある」からだ。

|

« Facebookから脱退 | トップページ | あんまりプログラミングしないけどアジャイル »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「印刷物を眺めながらの仕事」の衰退と罪深さ:

« Facebookから脱退 | トップページ | あんまりプログラミングしないけどアジャイル »