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2012.04.28

Facebookから脱退

 結局ろくに使わなかったFacebookのアカウントを停止した。Facebookのようなしくみは、私のように内向的でものぐさな人間には向かない。そのことには始めて1週間もたたないうちに気づいていた。次から次にこの人は知り合いじゃないかとか、誰それの誕生日だとかの通知が喧しいし、アドレス帳を読み出しているとしか思えない強引さも不気味だった。ただちにアカウントを停止すればよかったのだが、もたもたしているうちに1年近くたってしまった。

 世の中には、社会的なつながりを広げたり強化したりすることを無上の喜びとする人々がいる。そういう人々は社会を活気づけるために必要不可欠であって、彼らにとってSNSは便利なツールに違いない。しかし、そこらへんの感じ方が異なるタイプの人間もいる。社会的なつながりを軽視しているわけではないが、優先順位が違う。彼らは社交的な人々とは異なる価値を追及していて、やはり社会において独特な役割を果たす。いろんな人がいる、それだけのことではある。

 もちろん私にとっても、Facebookが示してくれる知り合いの人たちには暖かく懐かしい気持ちがいっぱいだ。友達リクエストにまるで応えていないので、冷たい奴と思われているかもしれないが他意はないことを申し添えておきたい。Facebookなど経由せずとも、私を友達だと思ってくださっているならすでにかけがえのない友達である。またいつでも楽しくおしゃべりしましょう。

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