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2007.01.28

仲間意識にもとづく残業

 ひとが生きてゆくためのリソースとして、何にも増して重要なのが「自由に使える時間」である。習慣的な残業はそれを確実に奪ってゆく。1日1時間の残業でも、1年続けたら240時間だ。その時間を使ってやれたはずのことはたくさんある。

 業界で求められている汎用的な知識やスキルを身につけられたはずだ。仕事以外の、自分が楽しいと感じられる活動を追及できたはずだ。また、家族や地域、そして社外での交友を深められたはずだ。常習的な残業は、現役時代に他の会社へ移動する自由を奪うばかりでなく、定年退職後に充実した時間を過ごすための技能や社会的な居場所までをも奪おうとする。

 とはいうものの、残業すべき理由は、個人的なものから社会的なものまで、情けないものからカッコイイものまでいくらでもある。残業手当で家のローンをまかなうためかもしれない。残業することが上司へのアピールになって、近い将来の出世や給料アップの材料にできるからかもしれない。家にいるよりは会社にいるほうが楽しいからかもしれない。会社の危機的状況を救うためかもしれない。仕事への責任感ゆえかもしれない。

 これらと重複する形でしばしば挙げられるのが「じぶんが残業しないことでしんどい思いをする同僚をほっておけないから」であろう。つまり、「仲間意識にもとづく残業」である。

 じっさいのところ、ドラマや小説では世の東西を問わず「仲間意識」が無条件で賛美される。ライバルが主人公にピンチを救われ、「なぜ助けた」と問われた主人公が「だって仲間じゃないか」とサワヤカに答える王道パターンがある。観客としては、前後関係が不自然であっても、感情レベルで妙に納得して感動してしまう。

 しかし、「仲間意識にもとづく残業」の様相はそれほど単純ではない。「つらい思いをしている仲間をほっておけないから残業する」という気持ちには「じぶんひとりが先に帰るなんてことをしたら、マイペースなヘンな奴と思われてしまう。それはいやだ」という、要するに「仲間はずれを避けたい気持ち」が含まれている(少なくとも勤め人をしていた頃の筆者自身はそうだったし、今でもそういうところはある)。かように、一見すると麗しいばかりの「仲間意識」も、「仲間への友愛感情」とともに「仲間はずれにされることへの嫌悪感」で彩られている。

 「仲間はずれにされることへの嫌悪感」ゆえに、ひとはおそらく残業手当てなしでも残業し得る。とくに日本人にとってその感情は「経営資源」として利用できるほどに根深く強い。この事実に気づいている経営者は多いような気がする。多くの企業が従業員同士の親密度を高めるための努力をするが、結果的に、それらを通して「経営資源」としての和や仲間意識が強化されるではないか。

 筆者はべつに「そういうわけだから残業なんてばかばかしい」と言う気はないし、「それこそが日本的美風ってものだから、しのごの言わずに残業すりゃいい」と言う気もない。感情レベルで深く組み込まれているものごとを対象化することは難しい。「仲間意識」はまさにそういうもののひとつだ。そして、これを抜け目なく利用する誰かがいるのであれば、意識的に取り扱う必要が出てくる。そのうえで、鷹揚に、そして毅然として「仲間意識にもとづく残業」にいそしめばいい。そういう話である。

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