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2006.05.27

書評「一万年の旅路」

(とてもお勧めしたい本なので、2002年初頭に前職での社内報に書いた記事から転載しました)

 米国の五大湖のひとつであるオンタリオ湖の南岸に住む「イロコイ族」の口承史の聞き書き「一万年の旅路」(ポーラ・アンダーウッド;翔泳社;1998)を紹介します。一族に伝承されている口承史が、語り部である著者自らによって英語で書き下ろされたのが93年で、その5年後に訳出されて日本語でも読めるようになりました。500ページを超える大冊ですがどんどん読めます。

 なにしろ、一族がアジア東岸を出発して、困難をものともせずにベーリング陸橋を渡って北米大陸に渡り、さらなる幾多の苦難の果てにオンタリオ湖岸に安住の地を見つけるまでの長い長い「伝説」にあらずして「ノンフィクション」なのです。さらに驚くことに彼らはアフリカか中東にあった豊かな森を旅立って地中海東岸を経由して、ヒマラヤの北を通ってアジア東岸に定住するまでの太古の記憶さえも伝承しています。しかも多くのエピソードが考古学上の定説と一致するだけでなく、それぞれのエピソードが起こった時代や場所をある程度特定できます。「一族の現在地」という著者による注釈がときどき載っているのですが、それを読むと心が震えるような気持ちになります。

 気の遠くなるような長い歴史を「歌」として伝承しているのは彼らが文字を持たなかったゆえなのですが、自分たちの歴史を伝承していかねばならないと思う動機は強力なものです。「私たちの子供たちの子供たちの子供たちのために、明日の変化に対処するために昨日の知恵を伝えていこう」と一族は決意したのでした。

 どれだけ住んだか誰も覚えていないほどに住み慣れたアジア東岸を離れたのは火山の爆発とそれに続く津波のためでした。そのような大変動を経験して北に向かった一族は、新しい環境にみずからの学びを通して適応してゆくしかありませんでした。砂漠を越える途上で彼らが歌い始めた旅の歌はこのようなものでした。「目がさめているあらゆる瞬間から学ぼう。眠っているあいださえ学ぼう。学びながら兄弟が歩くところを見守ろう」

 こうして、「歩く民(The Walking People、本の原題でもある)」であることと「学んで知恵を蓄える民」であることが彼らの民族的なアイデンティティになってゆきます。新しい環境について洞察を得ることに関しては性別も年齢も関係なく、時には8歳の女の子の提案が一族全体を助けることもあります。このことゆえの平等意識や、どんな相手であってもその人や生き物を尊重して相手からひとつでも多くを学ぼうとする姿勢は徹底していて、交流することになった異民族にしばしば疎まれるほどです。

 しかしどんなに知恵を蓄えても、環境の大きすぎる変化や不慮の出来事ゆえの失敗がなくなるわけではありません。しかし、彼らは深い悲しみの中でも「さあ、我々はここから何を学べるだろう」と問いかけ、その経験を一族全体の知恵とするために火を囲んで語り合うことを忘れません。それはまさに、学ぶことを学んだ一族の強さの源でした。

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