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2005.08.27

川が流れるように過ぎていった日々をコミットする

システム設計の仕事が好きといっても、雇われて働くからにはそれだけをやっていればいいわけではない。組織の業績目標達成のためには、意にそぐわない仕事だって引き受ける。それは組織人としては自然なことだ。筆者も会社勤めをやっていた頃には、自分の得意分野以外のさまざまな仕事にかかわっていた。さいわい、体をこわすほどに肉体的につらかったことはなかったが、精神的につらい仕事はいくつも経験した。

とくにつらかったのは、10年以上前に作られたシステムを客先に数ヶ月間常駐して行う保守の仕事だった。まるで正規化されていないデータベース構造にもとづいて、プログラムのロジックを修正したり、新しくプログラムを作ったりする。職業柄、データベース構造がどうあるべきかが鮮明にイメージできるぶん、現実との落差が大きなストレスになった。しかも、面妖なデータベース構造を前提にすると、プログラムのコードも面妖にならざるを得ない。プログラミングの仕事は好きなのに、きれいなコードを書きたくても書けない。これはつらい。

その頃を思い出すと、時間感覚が普段と違っていたことに気づく。毎日が「川が流れるように過ぎてゆく」感じがしたものだ。これは今思うと、時間の流れに対して「主体的」になれない無念さにもとづく感覚だった。大河の流れのような、静かだが圧倒的な時間の圧力に対して感じる無力感。そんなものを感じていた。

とは言うものの、今になってその頃の「意にそぐわない仕事」を思い出すと、どれもこれも皆ありがたい経験だったとしみじみと思う。なぜならそれらの仕事の「意味」が今ではわかるからだ。

たとえば、上述した面妖なデータベース設計の事例は「悪い設計パターン」をまとめるための参考になった。それだけでなく、意にそぐわない仕事はまさにそういった「他山の石」の鉱脈だった。システム設計に関して「こうすべきだ」という主張を「こうやらないと、たとえばこうなる」という生々しい事例とともに示すと説得力が増す。だから、そのような事例を一次情報として見聞きできる仕事は、設計手法の研究家にとっては素晴らしい経験だった。

かくのごとく、ひとは過去のつらい経験を言葉で解釈することで受け入れることができる。他人から見ればご都合主義的とうつるような解釈であっても、過去のつらかった時間を自分の生きた時間として受け入れることができるなら、それはそれで素敵なことだ。

システム屋の用語で言い換えれば、すべての経験は何らかの「意味」が与えられるまで、コミット未完了分のトランザクションとして残りつづける。人生のそれぞれの時点で抱える保留トランザクションの量が多いほど、充足感が少ないのかもしれない。けれど、それらがコミットされ得ないと思い込むのも間違いだ。とても長い時間のかかるトランザクションもある。それだけのことだ。「そうか。あのつらい経験は、このときのためだったのか」そのような驚きをもって、自分の過去に対してコミット発行できる瞬間がいつか来る。そう信じたい。

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コメント

少なくとも、ロールバックは避けたいですね。。。

投稿: RET315 | 2005.08.29 09:22

ぎゃははは、いえてるなあ。それは避けたいね(^^;

投稿: わたなべ | 2005.08.29 10:36

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