« 経営革新をやれるというシステム屋のうぬぼれ | トップページ | かすれたマーカーを使わされる拷問 »

2005.06.11

職業選択と「不快感」

職業選択に関して「やっていて楽しいことや得意なことを仕事にしたらいい」とよく言われるが、この助言は実際にはほとんど役に立たない。消費者を楽しませて稼ぐ商売が山ほどあるおかげで、楽しいことは多すぎるくらいだ。そのいっぽうで、自分が得意と思えることをもっと上手にこなす人々がいくらでもいることが簡単にわかってしまう時代でもある。だいいち、社会は想像以上に多様な職業にあふれていて、自分が得意かどうか、やって楽しいかどうかをそれらのすべての分野で試すなんてできっこない。

むしろ「不快感」の中にこそ、それぞれの個性に応じた職業適性は見出しやすいのではないだろうか。「ああ、なんで他の人たちはこれにガマンできるんだろう」と思えるようなら、そこに職業適性の核があるかもしれない。

◆不快感は「心地よいものを生み出す能力」に先行する

一般に、何らかの「心地よさへのこだわり」は「心地よさの欠如に対する不快感を感じる強さ」と言い換えることができる。何年か前、ある有名な照明デザイナーの発言を読んだ。彼にとってニューヨークのほとんどのレストランの照明設定は不快きわまりないという。どこそこはこれこれこんなんでサイテー、あそこのもガマンできないなんて厳しい批評が続くのだが、筆者を含めてほとんどの人は照明のあり方について彼ほどのこだわりはない。レストランの照明に不快を感じる機会など、ほとんどの人は一生ないのではないか。しかし、彼のそのような神経質さこそが、高いコストパフォーマンスで心地よい照明デザインを生み出すための原動力になっているのだろう。

筆者のことを言えば、「視覚的・論理的に美しくない資料や図解」に対して昔から強い不快感を感じていた。それを最初に意識したのは中学の頃で、担任の先生が作成して配布する資料のデザインがあまりに視覚的・論理的に美しくなかったため、不快を通り越して頭にきてしまった。これはあんまりだとまわりの友達に力説するのだが、誰も何とも感じていないのも不思議だった。そんなことが何度あったかわからない。その後、システム設計に関わるようになって、この世界が筆者のそのような神経質さに応えてくれることがわかった。資料(設計書)や図解(設計図)を美しくわかりやすい形にまとめることが歓迎され、それを強化するための職業的ノウハウが整備されている。

ここで重要なのは、「良きものを作り出す能力」に先行して「良さの欠如に対する不快感」が成立し得る点だ。実際のところ、筆者はいろいろな資料に美しさの欠如を感じて不快を感じたが、だからといって、その場でより美しいものをいつも提示できたわけではない(それがまた歯がゆかった)。天才でもない限り、初めから美しく提示することはできない。しかし、美しくないものを不快と感ずる「素質」さえあれば、その領域で美しく構成するための能力なんて遅かれ早かれ身につく。不快から逃れるためにひとは自動的に努力するものだから。その過程で、粗雑だった審美観も次第に洗練されてゆく。

◆不快さと折り合いをつける

しかし皮肉なことに、「不快さの感受性」にもとづいて選択された職業はしばしば、「不快と過ごす現実」を連れてやってくる。実際、システム開発の仕事はそのような不快感との持久戦でもある。ずっと昔に作られたシステムの構成やコードの汚さにいやというほどつきあう羽目になる。そのような汚さを与件として抱え込まないことにはまっとうできないプロジェクトも少なくない。

不快感を解消するための努力は厭わない――それゆえにその職業についたのではあっても、状況的には多勢に無勢であって、なんとか折り合いをつけなければいけない。

それでどうするかというと、不快感を感じる脳の働きを意識的に抑制する職業的な術(すべ)を身につけるのである。美しいものであれば、自分が直接関わる仕事と関係あろうがあるまいが、その美しさを堪能する。美しくないなら、自分の仕事に無関係ならば無視する。関係あってしかも変更不可なものなら、自分の中の「炭鉱のカナリア」にちょっと眠っていてもらう。そういうことができるようになる。

避けられない不快さについては鷹揚(おうよう)に受け入れる。しかし、自分の脳を通して世界に送り出すものについては、心地よくまとめることにこだわる。それを繰り返せば、世界の不快量をすこしずつ減らせるだろう。ひとりが関われる世界の領域は狭いものでしかないが、仕事を通してそのような「世界の濾過装置」の役割を果たせるなら、職業人としては本望だ。

|

« 経営革新をやれるというシステム屋のうぬぼれ | トップページ | かすれたマーカーを使わされる拷問 »

コメント

高校時代の先生の話でいまだに覚えているんですが、質屋の店主は本物を見分けるためには偽者をいくつも見ても勉強しても仕方がなく、本物に触れることが大切なんだというような話でした。なんとなく似ていますね。

投稿: たつみ | 2005.06.17 11:48

古いエントリへのコメントですみません。
リアルタイムで読んでいたはずなのに、今さらですが、再度読み直していて腑に落ちたので。

> 美しくないなら、自分の仕事に無関係ならば無視する。
> 関係あってしかも変更不可なものなら、自分の中の
> 「炭鉱のカナリア」にちょっと眠っていてもらう。
> そういうことができるようになる。

なるほど。ここでバランスを崩し、その炭鉱のカナリアに「ちょっと眠っていてもらう」ことが
できなくなると、精神的にまいってしまうわけですね。

投稿: katsu | 2006.10.14 19:20

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 職業選択と「不快感」:

« 経営革新をやれるというシステム屋のうぬぼれ | トップページ | かすれたマーカーを使わされる拷問 »